高野山秋季金剛会結縁灌頂に行ってきました。本やブログなどで細かい内容も事前に知っていたのですが読むと体験するでは大違い。今でも感動の余韻が残っており素晴らしい空気を今でも思い出しています。
三日間ある中の初日でしたが第9班と言うこともあり10月1日の最終の班でした。
チケットぴあで整理番号を割り振られるのですが、おまめとてんぽーは6番と7番でした。
6番と7番ならかなり早い時間で呼ばれるからそれでいいかと思い、チケットを取ったんですがこれは皆さん注意してください。整理番号は単なる整理番号で、当日に呼ばれる順番とは全く関係ありませんでした。9班が始まると、お坊さんから呼びかけられ皆さんぞろぞろと金堂の中に入っていきます。整理番号は関係なく並んだ順です。1番前に並んだ人が1番でした。
班の人が全員揃うとお坊さんから説明があります。南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)とお大師様の真言を唱えながら御堂の中にぞろぞろと入っていきます。
入ってびっくり 中はもうもうと白い煙が立ち込めています。おそらく皆さんが次々と焼香していたりお線香をたいている煙かと思われます。
中に入ると屏風が立ててあって奥の様子は見えません。前の班の人たちが唱えている真言がずっとループしながらお堂内に響き渡っています。とても荘厳な雰囲気でおしゃべりができるような雰囲気ではありません。整列して待っていると阿闍梨様が出てこられました。
そこで阿闍梨様の説法がありました。「印(いん)」の結び方の説明や真言の説明、懺悔文などいくつかのお経を教えていただいたあと、阿闍梨様に続いて唱えます。
唱え終わると次のエリアに移動します。そこでもう一度、忘れないように印と真言の確認があります。
印は両手を合わせ右の親指が上になるように両手の指を交互に組み合わせキリスト教のお祈りの時のように指を全て組みます。その状態から両方の中指を立て指の腹を合わせます。これが印です。
後真言は「オンサンマヤサトバン」。
この印を組みながらご真言を繰り返し唱えます。一人ずつ目隠しをされ、お堂内をゆっくりと移動します。要所要所でお坊さんが印の形と真言を確認してくれるので、結縁灌頂が終わった後もしっかりと覚えていられるのはありがたいことです。
印を結んだ中指の先は前に立っている人の背中の真ん中にあてますが、ちょっと緊張します。いくら目隠しをされているとは言え、前を歩く人は全く知らない人なので(笑)
そのまま知らない人の背中に中指をくっつけたまま、前の人に導かれるようにして歩いていきます。しばらく移動すると突然止まってくださいとお坊さんに止められました。なんだかドキドします。
そこでしばらく目隠しをされた状態で待ち時間があります。周囲がどうなっているのか、どこに移動したのか皆目検討がつかないため、なんだろうどうなるのかしらとドキドキします。
この時点で前の人の背中から中指が離されました。不安です。
けれど周囲には大勢の人たちが唱えている真言の声がずっと響いているので、もちろん1人ぼっちで怖いと言う感覚はありません。
しばらく待っていると近くで待機していたお坊さんが手を引いて前のほうに誘導してくれます。そしてすごく早口で今の状況を説明されました。
おそらく「とても重要な曼荼羅が目の前にあって あなたの指の間に挟まれている大切なこの花を曼荼羅の中に投げ入れてください」と言われたんだと思います。
けれど、手の形と指の形が普段しないような不自然な形をしていて、無理矢理立てた2本の中指で何かを挟んでいる状態です。それをいきなりどこにあるのか分からない見えない曼荼羅の真ん中に投げてくださいと言われるので軽くパニックです。
かと言って、いつまでもモタモタしているのもアレなので、とりあえず無理矢理指の間に挟んだお花を投げてみました。
どこに飛んだかわからないのですが、時間が押しているのかお坊さんが急いでいらっしゃるようで、目隠しをぱっと取られると曼荼羅のすごくど真ん中にお花が落ちていました。
そんなはずないやろと言うツッコミは心の中にしまっておきました。
いやいや もっと外れたところに落ちてたやろ~って思うんですが、お坊さんは弘法大師と私の縁を繋いでくださると言うとても深い愛情の下、きっと私が適当に投げた葉っぱを真ん中に戻してくださったんだなと思います。合掌。ありがたい。
その後なんだかよくわからないうちにまた違うエリアに誘導され、気がつくと目の前には有り難いどなた様かのお坊さんの掛け軸がかけられている場所に移動しました。お焼香とお賽銭をするエリアが見えてきます。
最初の方のお姿をぼーっと拝見していましたが、後ろから人が進んで来られたので 「あ、次に進めってことなのかしら」とサクサクと移動するとまた同じように有り難い感じの方が掛け軸になってお焼香とお賽銭のエリアが出てきます。
この時点で「あーしまった前の方の時もきっとお焼香とかしたらよかったんだなぁ」と気がつきましたがもう後の祭り。前のエリアには戻れない(完全に一方通行)ので、その場所から心を込めてお焼香させていただきました。お賽銭は何度も何度もいろんな人が出てくるのでその準備をしていた方がいいと思いました。私の場合すべてにお賽銭ができませんでしたが、心を込めてお焼香し合掌して感謝の気持ちを伝えました。
しばらく進むとまた待合室みたいな場所に到着します。私より先に進んでいた相方のてんぽーがなんだかすました顔でそこに座っていました。
この場所がこの日のメインイベント「大阿闍梨様」との面談室みたいなところにつながる待合エリアです。
ドキドキしながら順番を待っていたのですが、次の方と呼ばれて4番のブースに進んでくださいと言われると就職セミナーのすごく狭いブースがスラーーっと並んでいるような所に案内されました。
すると、狭い就職説明ブースの中にはお召し物だけでも普通の僧侶の方とは階級が違うとわかる着物を来た大阿闍梨様が座っておられます。一言も発しておられなくても、なんかもうごめんなさいって思ってしまうほど凄い人なのが伝わってきます。ありがたく、就職ブース(しつこくてごめんなさい 他にいい説明が思い浮かばない 泣)に置かれた椅子に座ります。隣にお弟子さんのような方がサポートする形で待機しておられました。
そこで阿闍梨様からとてもありがたい言葉を頂戴しました。内容は覚えていません。でもすごくありがたい言葉でした。
どうして覚えていないのかと言いますと、大阿闍梨様の思いやりの溢れる優しい言葉にすごく感動して涙が溢れてきて、ほんとにあまり覚えていないんです。阿闍梨様がおもむろに重い五鈷杵を出してこられました。それに触れると有り難いことにお大師様とのご縁が繋がると言うことで、私の手に渡されました。どしっと思いです。
それを阿闍梨様に渡し、また私に渡す、と言うことを何度か繰り返しました。そしてその後、頭の上に何かの水を数滴かけられました。それがどうやら灌頂(かんじょう)と言う事らしく仏様との縁が結ばれると言う儀式だったそうです。そして次はおもむろに頭に何か重い冠のようなものをかぶせられました。
目の前に鏡を見せられこれが仏様ですと言われました。つまり私の姿が仏様と言うことです。私の心(=すべての人の心)の中には大日如来様がおられると言う意味ですね。
普通ならばそんなアホなと、なんだか気恥ずかしい気持ちにもなるものですが、この阿闍梨様が仰るととても重みがありありがたい気持ちになります。そしてそれがさも真実の事のように心の中にずしーっと響いてきます。その言葉に含まれている人間に対する慈悲の心が、とてもありがたくてまた涙が出てきました。
そして阿闍梨様との時間はそこで終わり、就職ブースを後にします。
その後もいろいろな仏様の掛け軸と焼香、お賽銭のエリアがつらつらと並んでいるところを合掌しながら進み、金堂の外に出ました。
結縁灌頂の全てが終わり、伽藍の外に出た後もこの深い感動と清々しさは長く続きます。
数日間は余韻が続き阿闍梨様の言った言葉がいつまでも思い出されます。
「あなたの心の中には大日如来様がおられます」
この言葉は強大です。
職場や家庭など現実の生活に戻ると、イライラしたり腹を立てたり意地悪な気持ちが出たり怠惰な時間があったりと、いつもの自分に戻るのですが、ふとした瞬間に阿闍梨様の言葉が思い出されます。
私の心の中には大日如来様がいてくださるんだなって思うと、こんなことぐらいで心を波立たせることが馬鹿馬鹿しくなるわと感じることが多くなりました。
大日如来様や大好きな観音様の顔を思い浮かべると、イライラしたり腹立たしかったことも穏やかに消えていくのが自分でわかります。これが、結縁灌頂を経験し、神社仏閣を巡り続けている最大のご利益であると確信している昨今です(*^^*)
出口ではこのような紙製のファイルをいただけます。
中を開くと目隠しに使用された仏様が印刷された和紙。「大日如来」と書かれた和紙には曼荼羅に投げ入れた榊(?)の葉が大切に包まれています。手前の結縁灌頂と書かれた和紙は袋状になっていてお守りとして持ち歩くように説明書きがありました。
とってもありがたいこのファイルを胸に抱き、精進落としという名目で高野山界隈にある居酒屋へ(笑)
深い感動と心地よい疲れの中、とっても美味しい食事をいただき本当に幸せ♡
壁を隔てた隣の席でずいぶん楽しそうに盛り上がってる男性のグループがあるなぁと二人で話していたら、高野山のお坊さんグループでした(笑)
大切なイベントが無事終わり、ホッとしたんでしょうね(^_-)-☆とっても楽しそうでした。 こうやって、宗教関係なく私たちのような一般庶民と尊い仏様とのご縁を日々結び続けてくださっているお坊様たちに心から感謝!
高野山での結縁灌頂は本当に厳かで尊い、貴重な経験でした。